パリ市内の移動は基本的に地下鉄で。普段首都圏で暮らしてますから乗り継ぎその他の経路探索は馴染んでますし、運賃もゾーン制でパリ市内なら実質均一料金でお手軽ですから。
#4回以上乗るなら一日券の元がとれる。
車両は1号線などでは昨日乗ったゆりかもめ似の新車ですが、旧型車両でも特にみすぼらしいということはありません。せいぜい10〜15才程度のデザインです。
しかしトンネル設備自体はロンドンと並ぶ世界最古のもので優に100才を越えており、随所にそれが如実に現れています。
たとえば:
- トンネルが狭い。営団銀座線よりさらに一回り。
…でもロンドンのpicadilly line(私の身長170cmで頭がつかえる)よりはマシかも…。
- 通路とかも改札とかもいちいち狭い。「荷物持った日本人」ですでに相当辛い。
- そのせいか、一方通行の通路がやたらと多い。しかも逆方向の通路と全然隣接してないことが多い。
- 通路がよく曲がり、見通しが悪い。同じところへの並行した通路だと思っていたら全然違うところにつながっていたなんてことはざら。
- 上り下りが無駄に多く、しかもエスカレーターがとても少ない。
- 乗り換えは基本的に非常に遠い。
日比谷(千代田線)−有楽町(有楽町線)くらいの距離が普通。赤坂見附(銀座線・丸の内線)−永田町(有楽町線)とか東京(丸の内線)−東京(JR京葉線)クラスも珍しくない。
- 汚い。
ロンドンが物理的に汚い感じ(色褪せてる、錆びてる、壁にひび入ってる、埃積もってる、列車がきしむ、揺れる、遅れる、止まる…)なのに対して、パリは生理的に汚い(食べ物のゴミがあちこち投げ棄ててある、水がたまってる、ゴキブリがうじゃうじゃ這い回ってる、物乞いがあちこちにいる…)感じ。
どっちがより汚いと思うかは人によるでしょうが、どっちにしろ非常に汚いです(-_-;)。
- 出入り口の数が少なく、しかも分かりにくい。
だいたい一駅に二三ヶ所しかありませんし、外から見て目印になるような共通のサインもありません。
一応緑地に黄色の「丸にM」がマークではあるらしいですが、古い駅(≒大きくて、よく使う駅)はそんなのついておらず、入り口ごとにそれぞれアール・ヌーヴォーの凝った装飾をつけてたりします。よく見るとその装飾の中にMETRO
の文字が埋めこまれているのですが、探す目印には到底なりません。
この点ははっきりとロンドンの方が上です。
――とにかく駅の利便性の低さには閉口。(障害のあるなしに関わらず使いにくいという意味で)「バリアフリー」ではありますがね(^^;;;)。
本日のルートはノートルダム寺院→エッフェル塔。ありきたりとはいえ、あえて外す理由もありませんし。
まず
ノートルダム。どうでもいいけどこの名前の寺院ってフランス各地に山ほどあるんですけど(^^;)。
――そして印象。無駄にでかい(^-^;)。
あまりに大きすぎて、荘厳さというよりはむしろハリボテ的な滑稽さを感じてしまいます。
内部の祭壇はさすがに別ですが…。
#ここもそうですが、pont neufやアレクサンドル三世橋、Invalid、Saint-German de Pres教会、La Sainte-Chapelleなどパリ市内のあちこちの史跡が修繕工事中でした。
観光シーズンが終わったんで一斉にメンテナンスに入ったみたいです(^^;;)。
続いて
エッフェル塔。「○○と煙は…」の第二弾です(^^;)。
…やっぱり首都圏在住の目から見ると「錆びた東京タワー」です…(笑)。
赤白の塗装で装飾のない東京タワーに対し、エッフェル塔は全面赤茶色で細かいアール・ヌーヴォーの装飾があるという違いがあります。
だから錆びて見えちゃうということにもなるわけですが。
装飾過多なのが嫌いな私にとっては東京タワーの方がマシですね。
ただしパリ市街を一望して街の概形をつかむには最適の場所であるのは事実です。
ちょうど陽も射してきたので、多少霞がかかっていたもののかなり遠くまで見通すことができました(^^)。
パリの街は大戦ではあまり手ひどく壊されてない(焼かれはしたけど)ので、「新しい」といっても革命のころできた街並みだったりしますが、それでも「都市計画」という言葉のできたあとにできた区画はやたらと直線的、線対称
(チュイルリー公園、モンパルナスタワー方面)なのに対して、
古い区画はランドマークから放射状に伸びる領域の集合体になっていて街区がいちいち三角形や扇形、まっすぐ通る道がほとんどない
(凱旋門、サクレ・クール寺院方面)ことがひと目で見て取れます。
で、市街のほとんどが「古い」街並みだったりするもので道が分かりにくいことこの上ありません(^^;;;)。
近場のbrassrieで昼食をとったところでいつものように解散&自由行動。
ちなみに昼食にはパンにハムとblue d'Auvergneをのっけて焼いたオープンサンド(ポテトつき)を頼みましたが、やっぱり日本の標準からいくと「軽食」とはちょっと言い難い量でした(笑)。
チーズは以前食べたのより若いのか臭いはおとなしめでした。
…でないと焼いたら大変なことになりますしね(^^;;)。
天気もいいことですし、チュイルリー公園中心の広大な芝生を陸軍士官学校に向かってのんびりと散歩。
そしてその終点、士官学校前の広場には何やら大きな記念碑
が。
この透明な板と脇に立ち並ぶ棒には、世界各国の言葉で「平和」と書かれています。
英語、日本語、フランス語、スペイン語、アラビア語…かな?
平和とはもっとも縁遠い施設(いわば「平和破壊者養成施設」だもんね)の目の前にこんなものがあるのは偽善なのか、はたまたきついブラックジョークなのか…。
――と思いつつ歩き出したところで見つけたカップル
。
この男の着てるシャツに描かれた肖像は(このサイズだと小さくて分かりにくいけど)まごうことなきChe Guevara。
陸軍士官学校の前に立つ
平和の祈念碑の前で
反政府闘争の象徴を描いた服を着て
寄り添う恋人。
…すごい取り合わせです…(^-^;;;)。
#本人は気づかずにやってるんだろうなあ(^^;)。
続いて向かった先はInvalid (アンヴァリッド)。
ルイ王朝時代の傷病軍人治療施設が最初の姿で、今でも退役軍人アパートだそうな。
確かに住人らしき人も見かけました。
さらに今日はちょうど軍士官学校の社会科見学(^^;)だったのか、私と同年代かちょっと若いくらいの軍人さんと、その引率らしい「年くって勲章色々つき」な軍人さんが館内にあふれてました。
――多少(年相応に)立居振る舞いは落ち着いてるものの基本的なノリは日本の修学旅行の高校生と変わりませんね(笑)。
ここには軍事・兵器博物館やナポレオン1世の廟なども入っているのですが、その辺には興味ないので広い敷地の回廊をただぶらぶらと。
この回廊にも古い砲がずらりと並んでいたり、近代以後の戦争でのフランス軍戦死者を記念するプレートが壁に埋め込まれていたりと、軍施設らしい雰囲気(より正確には「戦のあと」の雰囲気)に満ちています。
そして戦死者追悼のプレートの中に見つけた真新しいもの
。
日付はなんとつい二日前の25 SEPTEMBRE 2001
。
そんな最近に「戦死者」はいないはずなんでこれはいったいなんぞや、と碑文に目を走らせると、どうやら「アルジェリア戦役」の戦死者へのもの。
なるほど、政府としての公式の態度がはっきりしたんでようやくこれを作ることができたんですね…(-_-)。
観光客でにぎわう本館や庭から外れ、外周の堀すれすれに木立の中ひっそりと佇む祈念碑が
。
切り落とされた自分の首を胸に抱いた姿はおそらくSt. Denis (サン・ドニ)でしょう。
地面に埋め込まれたプレートに刻まれた碑文は「テロリズムの犠牲となった者たちを記念して」。
人気がないにもかかわらず多くの真新しい花束が捧げられているのもむべなるかな。
四隅と正面には特大の、しかもフランス国旗で包まれた花束があり、そのうち4つには名前がありました。
像の左後ろから時計回りに、RATP (パリ市交通局)長、共和国首相リヨネル・ジョスパン、Air France社長、共和国大統領(シラクさんのことですな)、無記名でした。
さすがに時節柄この辺りの方々が深く弔意を示しているわけですね。
正門側(チュイルリー公園側から回ると裏門。こっちのが金色丸屋根の聖堂があって派手だけど。)に回り、「やっぱり正面から見ると一段と無駄にでかいなあ」などと思っていると、突如近くにいた観光客に「写真とってくれないか」のお願い。
シャッターを頼まれるのはまあ特に珍しいことではありませんが、このときが特殊だったのは彼が話している言葉がスペイン語だったこと。
まさかパリまできてスペイン語会話力を試されるとは思いませんでした(^^;;)。
見た感じ中南米から来たようでした。確かに今回パリ滞在中中南米系でスペイン語を話す人々はずいぶんたくさん見かけました。メキシコかな…?
#それにしても、基本的にフランス語以外の言語があまり通用しない国でスペイン語のみ、しかも見たところほとんど事前の行動計画なしで旅しちゃうのが彼ららしいというか見上げた根性というか…(^_^;;)。
「カメラ持った日本人」という、どこからどう見ても非スペイン語使用者な私をなぜわざわざ話しかける相手に選んだのか、という疑問は彼に手渡されたカメラで納得。
…古〜いFUJICAのレンジファインダーカメラでした。少なく見積もっても30年前のモデル。
これでは最近のAFカメラしか使っていない人ではとっさに撮れないでしょう(^^;)。
おそらく「一眼レフカメラを持っている人」を探していたのではないかと推測しましたがさて真相はいかに(^-^;)。
#一眼レフ使ってる人なら少なくとも「MFでの撮り方」くらいは知ってるでしょうからね。
InvalidからはアレクサンドルIII世橋
を渡って凱旋門
、Champs-Elysees通り
に至る無駄にでかいもののメドレーコース。
Champs-Elyseesの起点で、3車線くらいのロータリーになってる凱旋門(出入りする道も7、8本。相当慣れないと運転大変そう…)も写真で分かるように頂上部分が展望台になってますが、「上からの展望」は一度見ておけば十分なのでそのまま通過。
本日午後の主訪問先として私が考えていたのはConciergerie (コンシェルジュリー)
。
フランス革命時に反対派収容所(ギロチンの順番待ち、ともいう)として使われたので有名な施設です。
――が、なんと27、28日は一般拝観停止
との無情な貼り紙が(;_;)。
パリ市内にある数少ない「城館」だから楽しみにしてたのに〜。
隣接するLa Sainte-Chapelle (サント・シャペル)は全体が修復工事中でこちらも断念。
ステンドグラスの綺麗さとかで有名なところなのに、そこにシートかかってるのでは…(-_-;;;)。
#ConciergerieとSainte-Chapelleはセットにすると入場料などお得。
予定が一気に狂ってしまったのでセーヌ河畔地帯をぶらぶらと散歩。
凱旋門に行くところとConciergerieに行くところのメトロで予想以上に――というか案の定というか――時間を食っていたので、河畔の古本市などを冷やかしているうちに陽は西に。
そろそろ帰路につくか、ということでPont neufのたもとの大きなデパートSamaritaineのすぐ裏あたりにあるSaint Germain l'Auxerrois (サンジェルマン・ロクセロワ)教会
へ。
世界史的には「聖バルテルミーの虐殺の合図の鐘を鳴らした教会」ということで有名らしいですが、私にとっては「ひと目で分かるものすごく長い増改築の歴史がある教会」でしかありません(笑)。
ロマネスクからゴシックからバロックから、フランス文化圏で思いつく限りの建築様式が全部入ってる感じのすごい建物です(^^;)。
それだけの歴史を背負いながらこじんまりとまとまっているのもまたよし。
妹との待ち合わせの時刻も近いのであとはPalais Royal
をちらっとのぞいて宿へ。
本日の夕食は再び私持参のガイドブックから(すでにFIGAROは信用ナシ(^^;;))インドネシア料理店へ。
――着いたお店はなんと(日本の)駅前あたりにありそうなちょっとした食堂サイズの小さな建物。
中の椅子やテーブルも当然アジア人サイズ。店内のちょっと雑然とした感じの飾りつけとか、いかにも東南アジア的で親しみやすい雰囲気なのはいいんですが、お客さんは当然ながらヨーロッパ人サイズだったりなんかするわけで、席に着くだけで大騒ぎになるくらいの窮屈さ(^-^;;)。
私らの手前に座ってたカップルさんすいませんね(_O_)。
さながら学生街の食堂のようなたたずまいとは裏腹に味の方はなかなかに美味。伊達にガイドブックに載ってるわけじゃない感じです。
#でもやっぱり本で紹介してたくさんのお客さんを案内するのは根本的に無理な気がするなあ。
しかし件のカップルさん、私たちが入ったときにはすでにメインディッシュに入ってて、途中でそれぞれもう一皿相当しっかりした肉料理を頼んでましたが…。
「身長一割増しだと体積は3割増し」とかいう計算以上に、体の基本構造が違うようです(^^;;;;)。
#年いった欧米人によく見られるあの異様な太り方もすごく納得できる光景でした(笑)。